昭和50年代の後半まで、団地の東側にはいわゆる市場があった。
コの字型の通路の両側には各店舗が居並ぶ。客は買い物籠を持参。
「へい、いらっしゃい、奥さん、何にしましょう」
お馴染みさんとの会話もほのぼの。
菓子店には幅30センチ、縦40センチくらいのガラスの蓋のケース
が整然と並ぶ。中はあられや煎餅。求めるとエプロン掛けのおばさん
がスコップで紙袋に入れ、計ってくれる。
豆腐屋では水槽の中に木綿と絹ごしがプカプカ。ほうれん草やネギ
を買えば包んでくれるのは新聞紙。
団地の御用達だったこの市場も時代の波にのまれて閉店することに
なった。
すると住人たちはあちこちで井戸端会議。
「建物も壊すのよね、ネズミ、絶対いるよ、どこに行くのかしら」
「ウチは三階だからまさか登ってくることはないわよねえ」
「だといいけど・・・」
得てして希望的観測は願望のまま終わるものである。人生には
「まさか」という坂があると、誰が言ったのか記憶定かではないが、
行き場を失ったド根性ネズミはその「まさか」を成し遂げた。
夜になると台所でゴソゴソゴソ。どうやら三匹は入ってきた様子。
早速、ネズミ捕りを買ってきて仕掛けた。
二匹は数日でかかったが、一匹は姑息に逃げ回っている。
団地なので天井裏はない。暗くすると動き回る。
「こっちに来た」
「あっ、そっちに行った」
足音を耳で追うのみで為す術もないまま数日が過ぎた夜、
私は寝る前のトイレを済ませることにした。
台所の電気を点け、「出るなよ、出るなよ」
と念仏を唱えながらトイレに。
トイレは天井近くの壁がくり貫いてあり、そこに電球がついている。
スイッチを入れて、ドアを開け、「出るなよ、出るなよ」
鍵を閉めては、また、「出るなよ、出るなよ」
和式にしゃがんでモヨオシ始めたとたん、ヤツは熱くなったのか、
電球の壁の隅から飛び下りて来た。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ。出たぁ」
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